文句たれ日記飛び地の避難所

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今日気になったニュース

その1・クレーン車暴走:母にも賠償責任 宇都宮地裁判決 同居していた訳だから息子が服薬を怠っていた事は分かるわけで、一般常識的には母親にも責任があるというのは世間的な感覚だとは思う。 しかし、法律的に責任を認定してしまうのは問題だと思う。これは逆に見ると息子に100%の責任は無いという事であるからだ。つまり病気である時点で人権に制限がかかるという事態であり、病に対する差別に司法が公認を与えたという理解をされかねないからだ。 現時点では大げさな解釈だとは自分でも思う。ただこういう判決が今後増えるとしたら、それは危険な社会ではないだろうか。成人の犯罪に親が責任を有するという認識は先進国のものとは言えないのではないか。 その2・朝鮮学校の無償化適用外問題で全国集会――「差別しないで!」 私には、そもそも朝鮮学校が無償化から除外される事が「差別」にあたるのかが疑問だ。 文科省によれば、この制度の対象は『専修学校及び各種学校のうち「高等学校の課程に類する課程」』であり、『後期中等教育段階の学びを行っている』事が用件となっている。ごくごく当たり前の事で、要するに「いわゆる高等学校相当」であれば金を出す、という事でしかない。朝鮮学校を対象から外す根拠はこの段階では見あたらない。 従って今回の文科省令改正は自民党による政治的行為に他ならない。しかしこれは差別だろうか。自国に核ミサイルを撃ち込むと宣言している国は間違いなく敵国であろう。その敵国が全ての主導権を握る学校に対して援助しないのは、差別ではなく単なる敵国対応かと。利敵行為にブレーキを掛けるのは当たり前の話で、差別でもなんでもない。少なくとも学生には朝鮮学校以外への進学が閉ざされている訳ではない。これがどんな学校に行こうとも出自を理由に援助が無いのであれば差別と言えるかもしれないが。 差別というのは、例えば同和部落出身だからダメ、とか本人の所作とは関係ない所で為される区別の事であり、問題が違う。自らの行いで区別されるのは差別ではない。援助が受けたければ援助者に唾吐くな、というそれだけの事ではないか。開戦すると脅す将軍様を祭っていながら、将軍様の敵国に金だけはよこせ、というのが日本国民に受け入れられないのはそんなに変ではあるまい。 何にしても「差別」という言葉が意図的にミスリードの手段として用いられている気がする。この言葉の使われ方に違和感を持つ人も多いだろうし、そんな中でパレードなんて彼らにとって逆効果なのではないだろうか。アピールする相手を間違えている。彼らが真に説得すべきは将軍様だろう。